長内さんの紹介(ストーリー解説)

絶望を味わった数々の「失敗」から学び、毎回新規オープンした美容室を次々に100%黒字化する敏腕経営者

今回、コラボセミナーを一緒にさせていただく長内氏のストーリーをお伝えさせていただきます。

【長内弘之の歴史】

  • 日本一の店舗数を誇る美容室
  • お金持ちが集まる美容室
  • 低価格美容室
  • 高価格美容室
  • クリエィティブ系美容室

と、数々の美容室での学び、その後、独立売却借金ブラックリストの経験を経て、現在は個室サロン含めカフェ、キッチンカーなど6つの事業を進行中。

物販とオーガニックに力を入れています。

①31歳で独立し1500万をかけマキアージュOPEN

「なんのために独立?」

  • 人につかわれたくない
  • 自由に仕事がしたい
  • 稼ぎたい!稼げる
  • 稼ぐには経営者になること
  • 目立ちたい
  • モテたい

そんな「想い」で独立した感じでした。

この頃、子供3人でしたから、馬車馬のように働いていました。

ただ、これまで日本一の低価格サロン、高級店など

日本全国あちこちのサロンで働いてきたからこその独立だったので、その経験から、独立してオープン3ヶ月目には、受付と無知なアシスタントと3人でスタートしたにも関わらず、1ヶ月の技術売上は100万円を超えることに成功しました。

半年後、サロン拡張27坪、スタッフ募集することなく、どんどん人が集まる

お客様もスタッフも猛烈に集まる。

一日担当数が最低10名以上が毎日、スタッフも10名近く事務員も入れ、三年が経ち香椎店本店含めて年商7000万は超えていました。

カット講習、ストレート講習、デザイン講習などの講師として依頼が入り始め、とにかく毎日が忙しく、毎日のようにサロンワーク、レッスン、講習会、付き合いを深めるために飲み歩きました。

その頃、食費などの生活費、車、保険、家にかかる全ての費用とは別に、月に25万円の自由になるお金を当時の妻に渡していました。

ガンガン攻めまくり、ガンガンお金も入り、ガンガン人も集まってきました。

そんな時に、右腕だった店長の売上使い込み発覚。

衝撃を受けましたが、これをきっかけにご縁を切ることになりました。

香椎店は、赤字となり閉店。

この頃を振り返ると勢いだけで、なんのためにサロンをしたのか?どうなりたいのか?」を忘れていたような、、、

ただただ…「甘いなー」と感じた35歳でした。

 トータルビューティサロンマキアージュエスプリOPEN

香椎店閉店後、腹いせ、プライド、見栄、野望と様々な感情が湧き上がり、ヘア、エステ、ネイル、カフェのトータルビューティーサロンマキアージュエスプリをオープンさせました。

週末の夜はバーも経営、とにかく繁盛しました。当時、カリスマ美容師、ディーラーさんなど様々な方が見に来られました。

この頃から物販は強化すべき!」というイメージが湧き始めたと同時に、高客単価サロンの質は自分自身のスキル向上と知覚を広げることだと体感し始めました。

この頃の私の感覚は、忙しいことが「カッコいい」と思っていました。

36歳「疲弊」

指名売上・指名客数

  • 平均アベレージ技術売上180万→MAX217
  • 物販平均20
  • 一日MAX客数27名/月間300名

とにかく、連日連夜、毎日忙しく、坐骨神経痛。

このまま続くとどうなるか?」を考え始め、忙しさが続くことの楽しさが違う気がしてきました。

7年経営してきましたが、37歳の時に心身ともに疲れ果てサロン2店舗共スタッフ達に売却し、しばらく遊び呆けました。

⑤38歳「再びチャンス」

遊び呆けて半年後、私の噂を聞いたある社長から「3店舗目をオープンするからやってほしい」との依頼がありました。

引き受ける代わりに「一軒家を借りて欲しい」ということ、手取りは35万、連れて行くスタッフの手取りは25で交渉成立し広島へ引っ越しました。

過去の経営者としての経験とプライドから今回のサロンオープンは余裕をかましていました。

  • スタッフ面接
  • 内装
  • チラシ
  • 教育計画
  • 売上計画

すべて準備してスタートさせました。

毎朝チラシ配り、あちこち名刺配り、サロンはどんどん忙しくなり、目標である二年以内に売上300万を維持、後継者育成のために挑戦しました。

2年半の広島生活

睡眠時間4時間、休みなし、毎週月曜日は福岡に出張、お客様の自宅で仕事。

この時40歳、手取り50万から60万でめちゃくちゃ働きました。

金融機関に関することや借入などもかなり学ぶことができました。

実は、なぜなら前回マキアージュ時代の経営の失敗で、金融機関ではブラックリスト状態だったのです。

広島の店舗は、約束通り期限内に黒字に運べたので後継者にスイッチし、私はブラックリストにのったまま福岡へ戻りました。

⑦41歳全てのノウハウを詰め込んだ「karuna」をOPEN

当然、借入できない身分ですから、資金を集めました。

「どこからか??」

お客様からです。

みなさん、快く引き受けて下さり感謝しかありません。

宗像市で1人で再オープンして、自身満々からのすぐに挫折、、、

過去のお客様へ連絡しましたが、思った以上に来店に繋がりませんでした。

借金返済に不安を感じ始めた。ヤケで思いついたのが、副業でした。

私が思う副業とは、夜営業の美容室でした。

中洲のサロンへ面接へいきましたが、ことごとく断られました。

しかも、その理由が「あなたを雇える自信がありません!必ず大きくなる方です」と。

面接してくれた経営者は、夜型美容室3店舗をされているタカラベルモント重役の息子さんでした。

ということで、サロン一点に集中することを決断して、お客様の物件から半年後に、宗像市自由ヶ丘27坪の物件に移転しました。

700万ほどかけ、人材も増え、技術先行型から物販を強化、次回予約、髪質改善カラーなどを強化してきました。

月間売上400万を超えるようになってきたのが、45歳でした。

銀行評価も高く、かなりの利益がでてきて、社員教育にも力をいれ、ホスピタリティーをアップしていきました。

勢いに乗ったわたしは、美容には「食」が必須なのではないか?と考えて、「カフェがやってみたい!」という気持ちも芽生え始めました。

また、それと同時に他店と変わらないありきたりな自分の店に嫌気がさしてきました。

漠然と未来のサロンをイメージしつつ。

カフェ計画を進め、資産形成を考えるようになってきたのもこの頃です。

いったい、「銀行は僕にどれくらい投資してくれるのか」を試してみました。

すると、面白い展開に、予想以上のお金を動かせることができることが分かりました。

1億までは、銀行や国金から借入できることがわかり

2年間で宗像の店舗の土地建物を買い上げ、福津は完全個室サロンとテナントを建てることが出来、また自宅マンション購入もできました。

⑧成功する為の考え方

銀行とは、何かしたいからお金を借りに行くのですが、それ以前に、、、

「毎月、毎年の計画表を渡すこと」

これをやり続けることで信頼関係を築いておく事が大切です。

ディーラー、メーカー、顧問税理士とも定期的に商談や計画、方針を話しておくこと。

経営していく上で、必須な信頼を得る行動です。

この話をすると残念ながら「長内さんだからできるんでしょ」なんていう方もいます。

その思考を入れ替える脳のアップデートが必要です。

成功したいのであれば、成功した経験がある人の行動をTTP(てっていてきにパクる)、知りたければ積極的に質問すること。

学ぶ時間に投資、学ぶお金に投資するのです。

学びの投資を惜しみ、遊び呆ける。

これでは、頭打ちするのも早いですから要注意です。

⑨自営業から経営者へ

ベトナム店への投資、美容室だけの収入だと先が見えるという「危機感」からカフェ、キッチンカーなど、自立型スタッフを育成してきました。

「収入の柱を作る」

一つは美容室、不動産収入、ヘアケア製品開発収入、権利的収入(オーガニック事業、現在夫婦合わせてまもなく1000万総収入)株、信託、クラウドなどの投資

「労働で収入を取り続けることが可能か?」

わたしは、絶対に無理だと思っています。

だから、自分の中の偏見を一旦フラットにし、とにかく情報を集め「感情ではなく思考」で様々な事業に取り組んでいます。

そして今、将来に向けて思う事

数々の経験と失敗を練り直しながら再スタートしたカルナは15年になります。

経営は通算22年になりました。

22年はまだまだ若僧ですから、もっともっと高みを目指します。

揺るぎない明確な目的、高い目標があれば夢は叶います。

さらに高み」がイメージができ、達成した自分の姿が映像として浮かんだ時点でもうすでに達成しているのです。

  • 幸せの価値観
  • 収入の価値観
  • 時間の価値観
  • 成功の価値観

それぞれみなさん違います。

ただ、言えるのが今の仕事で死ぬまで今と変わらないもしくは、今よりも豊かな生活が出来るでしょうか?」

できるはずがありませんよね。

なぜ、ここまで話せるか?

体感しているひとたちがいるからです。

国民年金は頼りになりません。

本気で人生計画を逆算してみてください。

ゴルフと同じですねー逆算計画ですからね。

美容室経営を軸に店舗展開するには人が材料。

美容室経営を軸に1店舗経営するには人が財産。

何故なら雇用関係ではないから

結果から原因を作るのです。